「IBMの5つの価値共創領域を構成する重要技術」シリーズ 第4回 (全7回)
環境・社会・経済など多岐にわたる持続可能性。近年、重要な経営戦略の一つと位置付けられるサステナビリティーについて、喫緊の課題とされる背景、取り組むべき方向性を関連技術とともに解説します。
はじめに企業にとってサステナビリティーはかつてのような社会貢献(CSR:Corporate Social Responsibility)という位置づけではなくビジネス課題そのものになっています。しかし、ひとくちにサステナビリティーと言っても、関連する話題は多岐にわたる比較的新しいトピックなので具体的に求められる行動やITで何ができるのかなど、まだ漠然としていて取り組みづらいと感じている企業もあるのではないでしょうか。
「IBMの5つの価値共創領域を構成する重要技術」シリーズ 第四弾となる今回はサステナビリティーにはどのような課題があるのかを整理して、その推進のために注目すべき具体的な技術を4つのカテゴリーに分けて解説します。
背景まず、そもそもサステナビリティーの課題にはどのようなものがあり、なぜそれらが重要なのか、そしてサステナビリティーの課題解決とITの関係について述べます。
サステナビリティーというと、脱炭素とカーボン・ニュートラルに多くの注目が集まりがちですがサステナビリティーの課題はそれだけではありません。「環境・自然」では生物多様性や水資源などもその範疇ですし、「社会」の視点では強制労働や貧困等も含まれます。このように「環境・自然」「社会」が健全であって初めて自社の事業が成り立っている、というサステナビリティーの考え方へと大きく価値観が転換しています。これには米国の主要企業が名を連ねる財界ロビー団体のビジネス・ラウンドテーブルが、2019年に株主資本主義から「ステークホルダー資本主義」への転換やパーパスの実現を宣言したことが大きく影響しています。その後、2021年のダボス会議では「グレート・リセット」がテーマに掲げられクラウス・シュワブ会長の「第二次世界大戦後から続くあらゆるシステムは環境破壊を起こし持続性に乏しく、もはや時代遅れだ。人々の幸福を中心とした経済に考え直すべきだ」というメッセージが注目されました。現在はまさに価値観の転換期にあるのです。
そのような世界的な環境の中で気候変動対策と脱炭素、カーボン・ニュートラルに代表される地球温暖化への対策は非常に重要で、世界が一丸となって取組むべき課題です。
温室効果ガス(GHG:Greenhouse Gas)を多く排出しているのは先進国であるにもかかわらず洪水などの被害を被るのは新興国となってしまうグローバル・サウスの問題は、自然破壊による原材料の枯渇や洪水によるサプライチェーンの分断等、自然・動物・人間・企業の活動全てにその影響が及んでいます。先日発表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC : Intergovernmental Panel on Climate Change [
1])の第6次評価報告書[
2]の中では「温暖化が進んでおり、現在打ち出されている政策だけでは、世界共通の気温抑制の目標である2℃以下を目指し1.5℃に抑える努力を追求するパリ協定の目標は達成できないこと」が示されました。 この評価報告書によると2011年から2020年にかけて気温は産業革命前から1.1℃上昇、温室効果ガスの排出削減を進めても2030年代前半に1.5℃の上昇に達する可能性が高く、それ以上の上昇を止めるには対2019年比で2035年までに温室効果ガスを60%削減、2040年までに69%削減する必要があるとされています。さらに昨今の世界情勢に起因するエネルギー危機を踏まえると、2035年に向けてより厳しい取組みが求められることが予測されます。ちなみにIPCCの評価報告書の中では、「再生可能エネルギーの活用」、「より長寿命で修復可能な製品の利用を増やす」、「電気自動車への移行」、「エネルギー効率の高い建物やコンパクトシティの建設」などが対策としてあげられています。また日本では2023年2月に閣議決定された「GX実現に向けた基本方針」では「徹底した省エネの推進」「再エネの主力電力化」等が公表されています。では企業がそのような取組みを推進していくにあたり、何から着手すべきでしょうか。i) 自社のパーパスの明確化、ⅱ) それを実現するための戦略・ロードマップの策定、ⅲ) 現状の把握と分析、ⅳ)具体的な施策の実行、ⅴ) PDCAサイクルの確立が重要です。
サステナビリティーのためのIT技術パーパスや戦略は重要ですが、“絵に描いた餅”で終わらせないためにはテクノロジーの活用が不可欠です。たとえば国連環境計画はブロックチェーン技術を通じたクリーンエネルギー、低炭素への移行と気候変動の緩和を加速させるためのグローバル・ロードマップ[
3]を提示していますし、総務省も2030年のSDGsゴール達成に向けて「ICTの活用による効果」への期待を記しています[
4]。
IBMのサステナビリティー・ソリューションでは、ⅰ)、ⅱ)に貢献する「サステナビリティー戦略とロードマップ」のソリューションとして、サステナビリティー成熟度診断、顧客×サステナビリティー体験構想、カーボン・ニュートラル・マーケティングを具備していますが、本稿ではそれらを実現するためのテクノロジー活用に注目して以下に4つのテクノロジーを紹介します。それらはⅲ)の現状の可視化のための「ESGデータの可視化、レポーティングとリスク管理」、ⅳ)の具体的な施策への実現手段としての「施設・資産のインテリジェントな管理」、「ITにおける環境対策」、「循環経済実現のための持続可能なサプライチェーン」です。
図1 地球温暖化への対策に向けて企業が確立すべきこと
ESGデータの可視化、レポーティングとリスク管理(ESG:Environment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治))サステナビリティーはデータがなければ目で見て現状を把握することも実現することも叶わず、掛け声だけに終わってしまいます。データを収集して可視化・分析することから始まる点は、扱う対象が温暖化ガスでもプラスチックでも共通です。サステナビリティーに関連するデータは非常に種類が多く複雑です。それらの発生源も社内外のさまざまなシステムやサービスにわたるため、データの収集には社内のさまざまな部門が関わり、場合によっては他社とやり取りをする必要もあります。データを分析して、最終的には投資家や規制当局に対して報告をしなければなりませんが、その報告はたとえばTCFD (Task Force on Climate-related Financial Disclosures、総務省 気候変動関連財務情報開示タスクフォース)[
5]やSASB (Sustainability Accounting Standards Board、米国サステナビリティー会計基準審議会) [
6]などの仕様に準拠した監査可能で品質の高いレポートになっていなければいけません。CO
2排出量(カーボン・フットプリント)の算出であれば、エネルギー源や地域によってもさまざまに変わってくるCO
2排出係数を用いた計算を行います。自然環境やエネルギーがビジネスに及ぼすリスクを分析して財務に及ぼす影響を見積もる報告を求められる場合もあります。このような報告の作成においては多種多様かつ膨大なデータの分析と集計が求められることから、手作業で処理できる範囲を越えてきているというのが現状の問題です。そこでこのようなデータ管理・分析・レポーティングを行うESGデータ管理/分析プラットフォームが注目されています。「CO
2排出量管理ソフトウェア」や「炭素会計プラットフォーム」[
7]と呼ばれることもありますが、プラットフォームによっては、CO
2に限らずESG関連データを幅広く扱えるものもあります[
8]。多数のソフトウェアと接続して、様々な業務から様々なタイプのデータを集められることがプラットフォームを選択する際の重要なポイントです。さらに気象データや地理空間データをAIを用いて分析することで自然災害リスクを予測できるプラットフォームもあります[
9]。それらのプラットフォームでは、集まったデータをダッシュボードで可視化し、レポートを作成することが可能です。その際に多数の関係者による作業がどうしても必要になるので、それを支援するグループウェア機能を提供するものもあります[
8]。
図2:ESGデータ管理/分析プラットフォーム例:CO
2排出量やその削減プランの表示画面
施設・設備のインテリジェントな管理オフィスビル、工場、倉庫や設備、社用車等、業種により量の多少の違いはあっても、そういった物理的な資産を持たない会社はありません。それらの資産が事業に用いられたり移動したりするたびにエネルギーは消費され、装置は消耗し、廃棄物を生じます。それらがいつ何に使われているのかを把握して、さらにAIを使って稼働や消耗を分析、利用を効率化・最適化することで無駄な利用や廃棄を減らすことができます。
たとえば輸送経路の最適化はもはや古典的な応用領域と言えますが、IoT技術の利用拡大もありリアルタイムでの状態把握が一般化して応用範囲が増えています。設備資産管理システム(EAM: Enterprise Asset Management)では、工場の生産設備や再生可能エネルギーの発電設備などのリアルタイム監視や、AIを用いた予防保全などを用いて運用管理を最適化できます[
10]。また統合型職場管理システム(IWMS: Integrated workflow management system)[
11]では、オフィスビルをはじめとする施設の管理プロセスの一元化によってAIの活用を促進、新しいユーザー体験によってスペース利用の効率を促進しGHG排出量やエネルギー使用を削減することができます。
他方でさまざまな目的で使用できる物理的資産、プロセス、人、場所、システムなどをデジタル空間において複製することをデジタルツインと言います。この時に物理的な空間の環境とデジタル空間での複製を高い精度で一致させることで多くのメリットが得られます。デジタルツインにおける主な特徴は、以下の3点です。
・オブジェクトやシステムのライフサイクル全体を仮想的に表現
・リアルタイム・データを元に更新
・シミュレーション、機械学習、推論を使用して意思決定を支援
デジタルツインを利用すれば、設備利用の条件をさまざまに変えて消費エネルギー量や温室効果ガスの排出量といったサステナビリティー関連指標を短時間で算出したり、その算出結果を現実の物理的な空間にフィードバックしてエネルギー消費を最適化することができます。たとえば、エネルギー源を火力から再生可能エネルギーに変えた場合や、製造装置の増減をシミュレートすることで工程での処理時間やコストとエネルギー消費量の削減効果を計算しROI(Return On Investment)を考えた意思決定をすることができます[12]。
ITにおける環境対策膝に載せたノートパソコンが熱くなれば気にもなりますが、自分が使っているクラウドが自分に見えないどこか遠くでどれほど電力を使っているかを日頃から意識している人は少ないのではないでしょうか。しかし、ITそのものの環境負荷も大変大きく深刻な問題になってきています。世界におけるデータセンターの電力消費が増加を続け、2030年には2018年比で15倍以上に増加してしまうという予測もあります[
13]。社会問題解決のためのITインフラ自体が、決して社会問題になってしまわないように、サステナブルで責任あるコンピューティングが必要とされています。サステナブルなデータセンターの実現には再生可能エネルギーの使用をはじめとして、いくつかできることがあります。他方で歴史的な経緯によって徐々にサーバーの数が増え結果的に多数のサーバーが乱立してしまっている場合には、サーバー統合が大きな効果を生むことがあります[
14]。クラウドでも、実は必要以上にリソースを割り当ててしまっている場合もあり、適切なモニタリングを行なってリソースを最適化すれば無駄を減らすことができます[
15]。また近年、AIモデルの学習や推論の計算コストの急激な肥大化も問題になっています。AIの能力を向上するために、ますます多くのデータを使って、ますます巨大なAIモデルが利用されているので、AIモデルの学習をゼロから行うと552トンものCO
2排出に相当する電力消費があると言われています[
16]。
これに対してはAIに特化した計算効率の良い専用の半導体チップ[
17]が既に利用可能ですが、さらなる効率化のために従来のノイマン型コンピューターと全く異なる構造を持ったアナログAIコアの研究も進んでいます[
18]。2ナノメートル・ノードの半導体技術を用いると7ナノメートルの半導体に対しても1/4の電力消費に削減できることが期待されるため、量産化され幅広く応用されることが望まれます[
19]。
循環経済実現のための持続可能なサプライチェーン自社が直接的に管理・所有する排出源だけでなくサプライチェーン全体にわたるGHG総排出量、すなわちスコープ3排出量の把握が求められています[
20]。また原材料の産地偽装を防いだり、人道的に問題のある取引先が含まれていないことを確かめたり、自然災害のリスクを把握するためにも、従来よりも正確で包括的なトレーサビリティーの実現が必要です。この実現には複数の企業がデータ接続を行なって安全にデータをやりとりできるセキュリティーやアクセス制御が必要であるので、信頼でき適切な透明性を持ったプラットフォームの共創と、特にブロックチェーン技術の利用が鍵となります。複数の企業の共創によって進められているさまざまなサステナビリティー・プラットフォーム構築の取り組みでは、製品やリサイクル原料の製造工程や品質情報の可視化とセキュアーな公開、またその流通ライフサイクルを通したトレーサビリティー、回収・貯留・転換なども含めたバリューチェーン全体の最適化を目指しています。
おわりに
サステナビリティー・ソリューションにおいて重要なことは、
1) データ化を行い収集/情報公開を自動化すること。
2) 次に企業レベルでの脱炭素戦略の具体的な実装時期を分析・協議したり、シミュレーションを用いてROIを検討すること。
3) それぞれの事業におけるドメイン毎に具体的な脱炭素施策の実装を検討すること。
すなわち現時点の状態を計測し、目標を数値的にしっかり定義した上で、全体的な方向性に沿った具体的なプランを立てて着実に進めることです。現在、多くの企業ではデジタル変革(DX)が積極的に推進されています。それらは今後、外部要因によって目的が変更されることが多くなります。これまでのQCD、すなわち Quality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)を中心とした企業運営に、サステナビリティーが加わり、QCD+S (Sustainability)の運営を効率的かつスピーディーに実現するためには、デジタル技術の活用が必要不可欠となります。柔軟性・拡張性・可搬性を有するデジタル技術を採用し、目的が変更されても迅速かつ効果的に対策が取れるシステムと組織体制を構築し、サステナブルな運用を実現することが急務となります。
IBMは、お客様企業の事業領域に寄り添ったコンサルテーションの能力と、ツールやプラットフォームなどのソフトウェア、エネルギー効率の良いハードウェア、AIや最適化などの先進技術をあわせ持ち、お客様企業のサステナビリティー対応に多面的なご支援を致します。また、IBM自身がハードウェア・メーカーとしても、クラウド・データセンターの運用の点でもサステナビリティー対応を長年にわたって進めてきたという経験と実績も、お客様をご支援する際に活かすことができます。サステナビリティー・ソリューションには共創が重要です。より良い世界の実現のためにIBMはますます多くの共創を進めてまいります。
「IBMの5つの価値共創領域を構成する重要技術」 シリーズ (全7回)
|
大塚 泰子 Otsuka Taiko IBMコーポレーション IBMコンサルティング パートナー
|
|
坂本 佳史 Ph.D. Sakamoto Yoshifumi 日本アイ・ビー・エム株式会社 技術理事兼エッジコンピューティングCTO, テクノロジー・オーケストレーション担当マネージャー
|
|
磯部 博史 Isobe Hirofumi 日本アイ・ビー・エム株式会社 テクノロジー事業本部 サステナビリティ・ソフトウェア事業部 ソリューション・リード
|
16年超に渡り、企業の成長戦略、新規事業創出、中期経営計画策定、経営統合支援に従事。総合系グローバルコンサルティングファームを経て、日本IBMにエンタープライズストラテジーチームのパートナーとして参画。2021年にサステナビリティー・コンサルティングの日本における立上およびリーダーを務める。2022年7月より米国本社に出向し、在米日系企業の戦略策定支援を行う。京都大学経営管理大学院の客員准教授として脳の研究にも従事している。
|
IBMの技術者の最高位であるIBM Distinguished Engineer並びに日本IBMにおけるエッジコンピューティングの最高技術責任者。2014年に九州大学大学院でリバースモデリングとモデルベースシミュレーションを活用した組込みシステム開発手法の研究によりコンピューターサイエンスの博士号を取得。IBMの入社は1985年。これまでパーソナルコンピュータ、組込みシステム、およびASIC/ SoCの設計と開発を担当。その後、ASIC/SoC開発プロジェクトのアーキテクト兼プロジェクトマネージャーを経てSoC開発プログラムマネージャーを担当。九州大学大学院システム情報科学府非常勤講師。
|
IBM入社後、ソフトウェア開発研究所にて、ITシステム管理製品(Tivoli)やアセット・マネジメント製品(Maximo)のソフトウェア製品の開発を行う。2008年に発表したIBM Smarter Planet構想以降では、ビルのエネルギー管理を中心としたSmarter Building ソリューション、都市の効率化を支援するSmarter Citiesソリューションの設計および開発をソリューション・アーキテクトとしてリードする。 現在、AIおよびIoTを活用した業界特化ソリューションおよびカーボンニュートラルを中心とするサステナビリティー・ソリューションのリード・ソリューション・アーキテクトとして活動している。
|
参考文献
[10] 「EAM : Enterprise Asset Management – IBM Maximo Application Suite」,
[11] 「IWMS(Integrated workflow management system)のソフトウェアとソリューション(IBM TRIRIGA IWMS)」,
[16] David Patterson, Joseph Gonzalez, Quoc Le, Chen Liang, Lluis-Miquel Munguia, Daniel Rothchild, David So, Maud Texier, Jeff Dean, “Carbon Emissions and Large Neural Network Training,” https://arxiv.org/abs/2104.10350, 2021(英語).
ProVision一覧は
こちらから