様々な先進技術が次々に登場し、世の中が移り変わっていく中、所属する組織で粛々と日々の業務をこなしているだけでは技術者として生き残れない時代になってきました。本記事では、日本アイ・ビー・エム株式会社 テクノロジー事業部のバイスプレジデント兼技術理事である藤田一郎と第2カスタマーサクセス部 マネージャーの戸倉彩が、技術者として、本業だけでなく外部の活動に果敢に挑戦することでキャリアをセルフプロデュースすることの重要性や、IBMの文化やテクノロジーのユニークさ、そして技術者として今後世の中やビジネスをどう変えていきたいかについて語りました。
前編では、主に自身のキャリアについて、現在の役職や日々のタイムスケジュール、キャリアパス、現在のポジションに就くまでに苦労した点やそれを乗り越えたマインドセットについてお話しします。
秋葉原に通い詰めた子供時代、本業以外の外部活動にも果敢にチャレンジして築いたキャリア
-現在の役職と日々どのようにお仕事されているのか教えていただけますか?
藤田:私は日本アイ・ビー・エム株式会社のテクノロジー事業部でテクノロジー・エキスパートラボ・デリバリーの日本の統括をしています。役職としては、バイスプレジデント兼技術理事です。エキスパート・ラボのリーダーをやりながらも技術理事としての活動も進めています。エキスパート・ラボでは、お客様にIBM製品を品質高くご利用いただくためのプロフェッショナル・サービスを提供しています。つまり、新しいソリューションを作って提案をしたり、新しいビジネスを立ち上げる事をやっています。また、これはIBMの宿命ですけれど、たくさんの製品をお客様にお届けしていると、トラブルが起こることもありますので、そちらの解決も行なっています。
1日のスケジュールとしてはエキスパート・ラボがグローバルの組織なので、日本のリーダーとしてグローバルの会議に朝と夜に週に3~4回入ります。それ以外は日本のお客様の時間に合わせています。仕事内容のうち50%はお客様対応、残りは新規ビジネスの開拓と部門の管理の半々です。週の半分くらいはお客様訪問をし、半分くらいはテレワークをしています。リーダーなのですが、部門の管理が少ない理由は、他に管理が得意な人がたくさんいますので、その方々にお願いして、少しずつ技術理事の仕事を増やさせていただいているという状況です。
戸倉:私はテクノロジー事業本部・第2カスタマーサクセス部のマネージャーをしています。この第2カスタマーサクセスというチームは、2021年に立ち上がった2つのカスタマーサクセス部の1つです。現在ではチームが5つになって、どんどん発展している状況です。このチームではIBMの中でスタートアップ的に、今までにないアプローチを他の部門の方々と連携して展開しています。ミッションとしては、主にソフトウェアやクラウドサービスのライセンスをお持ちのお客様のビジネス価値向上の為にお客様の成功をご支援することです。
基本的にはテレワークですが、お客様コールや外部のコミュニティー活動もしています。例えば、カスタマーサクセス部がconnpass(エンジニアをつなぐIT勉強会支援プラットフォーム)で運営しているIBM TechXchange Dojoいうコミュニティーがあります。その中で、メンバーが登壇する際の資料レビューや、ランスルーと言ってセッションのリハーサルのレビュー、そしてコミュニティーが健全に運営される為の管理をしています。
プライベートでは娘が一人いますので、年次に合わせて業務に支障がないようにスケジュール管理をしています。まだ小さくて送り迎えがある時は、早朝から準備をして、送り出しをしてから業務を開始し、お迎えの時間になったらいったん仕事を切り上げて、夕飯後にまた仕事を再開します。カスタマーサクセス部もグローバルチームなので、夜の時間帯にビジネスレビューのミーティングがあります。また最新の技術をキャッチアップする為のトレーニングも夜におこなったりして、時間の使い方を工夫しています。
-子供の頃や学生時代の頃の専攻、そこから入社して今の役職に就くまでの経緯やキャリアパスを教えてください。
藤田:子供の頃の経験でトリガーが2つあると思っています。1つ目は小学生の頃の80年代はPCブームで同じマンションの同級生でPCを買ってもらっている子がいて、その子のPCで遊ばせてもらった経験です。2つ目は英会話スクールに通っていて、英語は上達しなかったのですが、そこでタイプライターを使う授業があったので、キーボードをタイプできるようになった事です。
その後に特にPCオタクになったわけではないのですが、大学で物理科を専攻しておりましたので、統計計算をするための簡単なプログラミング等をしていました。そこからコンピューターも楽しいなと思うようになりました。その後、大学の就職掲示板でたまたまIBM先輩のポストイットを見つけて、当時の築地事業所をOB訪問して、コンピューターの会社であるIBMに入社しました。
私のキャリアは10年ごとに変化していることが特徴です。最初の配属部署はグローバル・サービス部門で、今でいうコンサルティング事業部です。ここでは製造業のお客様向けのSE作業をしていて、ハードウェアの搬入、セットアップ、プログラミングなど何でもこなしていた技術者としての下積み時代でした。この10年のうちの後半の5年はEnterprise Resource Planning (ERP)をやっていました。今でいうOracle E-Business Suiteの一つ前のOracle Applicationsの時代に、日本で初めて会計システムを導入しようとするプロジェクトがありました。そこにアサインされたのがERPを始めたきっかけとなります。ここが私のキャリアの重要なポイントなのですが、社内での仕事では100% ERPをしておりました。一方、ちょうどその頃プログラミング言語のJavaが出てきた頃で、課外活動としてJavaのエバンジャリストとしてIBMホームページにブログを書いたり、本を書いたり、社外コミュニティーで講演をしたりしていました。そこでJavaの専門家としても名前を売り、執筆した本はベストセラーで当時6万冊売れました。そういう経緯があったので、社外では私の事をERPというよりJavaの専門家として知っている人が多かったです。
次の10年は、JavaやERPで大規模な会計システムの構築を経験した流れから、アーキテクトの道に進みました。当時、Service Oriented Architect (SOA)の推進するためにアーキテクトが集合した部門が組成され、その中でアーキテクトの道を歩みました。多くのアーキテクトの先輩方からアーキテクトのメソドロジーを習い、私のアーキテクトとしての基礎ができました。当時、多くのアーキテクト技術理事が同じ部門にいらっしゃいましたので、私のキャリアモデルとして大変参考にさせていただきました。
次の20年目以降のキャリアは銀行の海外システム構築のリード・アーキテクトです。当時、たまたまMUFG様 (三菱UFJフィナンシャル・グループ)のニューヨーク支店の基幹系システム再構築プロジェクトがあったのですが、そのプロジェクトの全体を見るリード・アーキテクトに抜擢されたのがきっかけです。そこから10年ほど銀行系のお客様の海外支店のシステム構築のリード・アーキテクトを担当し、2020年に技術理事になりました。技術理事就任後に現在のテクノロジー事業部のエキスパート・ラボに異動し、2024年8月にバイスプレジデントに就任しました。
このように私は10年単位でキャリアチェンジをしてきています。ただ、全体としては主にアーキテクトとして活動しており、ハードウェアからソフトウェアまでシステム全体を設計して正しく動かし、トラブルがあれば対応するというお客様向けの活動をメインでやってきました。
戸倉:私が小学生の頃、ゲームボーイというものがありました。当時はまだ白黒だったので、これにもっと色がついたらいいのに、キラキラした可愛いデザインだったらいいのにだとか、音ももっとお洒落なものに変えられないかと色々不満を持っていました。親に相談したところ、「それはプログラミングというものをしたら変えられるよ。」と教えてもらいました。そこからコンピューターやプログラミングに興味を持ち、秋葉原に通うようになりました。まだ小学生だったのですが、当時の秋葉原のお店には優しい人がたくさんいて、店員さんが一生懸命色々なことを説明してくれました。プログラミングについて学びたいと相談すると、「〇〇という雑誌を〇〇階に見に行くといいよ。」と教えてくれました。当時は路上でソースコードを紙に印刷して売っている人もいましたね。その後、両親に頼み込んでPCを買ってもらいました。もちろん高価なものなので、自分専用というわけではなく、両親が使っていない時に、まずはタイピングを覚えるという名目で使わせてもらっていました。使用しているうちに、立ち上がる時に色々なシステムが動くことや、OSの仕組みを理解しないと自分がやりたい環境を用意できないことを学びました。メモリーが少ないと動かないということもわかり、そこからカスタムPCに興味を持つようになりました。そのようにして秋葉原に通い詰めていたので、小学生の頃のお年玉はパソコン雑誌代と電車代でほとんど消えていました。秋葉原の人に教えてもらいながら、BASICコードを書いたりしているうちに、シンタックス・エラーというものが出てくることがありました。しかし当時の辞書で調べても出てきません。そこで、英語、特にパソコン用語の英語も理解できるようになった方がいいと思うようになり、両親に相談したところ留学を勧められました。
16歳の時にアメリカに留学したのですが、留学先がたまたまIBMのオースティン研究所があるところでした。留学先の高校ではIBMのOS/2のコンピューターが並んでいて、IBMを退職された方が担当していらっしゃいました。日本の学校では教室にコンピューターが並んでいる光景など見たことがなかったので、やはりアメリカはすごいと衝撃を受けました。そこから、自分が将来コンピューター関連で何かを生み出すという仕事をしたいという強い思いが芽生え、具体的な目標を立てようと思いました。
一方、日本に帰国後に、ちょうど対戦型のゲームが流行り始めていたのですが、その時に相手のコンピューターの権限を乗っ取ってしまえば勝てるのではと考えるようになりました。逆に自分のコンピューターの権限を乗っ取られないようにしければと思い、ネットワークとセキュリティーにも興味を持つようになり、そちらも専門的に勉強し始めました。その頃、日本でSymantec社の法人向けエンジニアの部署が立ち上がり、部長・課長・私の3人体制のチームに入社しました。その後、Symantec社のアメリカ本社にも自ら手を挙げて異動させていただく機会もありました。それからしばらくセキュリティーを専門にやっていたのですが、もう少しクリエイティブな事がしたいと思い、前職のMicrosoft社に入社しました。入社後半年は営業に従事し、その後はテクニカル・エバンジェリストになりました。当時、Microsoft Azureの応援キャラクターとして、“クラディア・窓辺”が存在していたのですが、私と誕生日が同じで親近感を感じ、「このキャラみたいになりたい!中の人になりたい!」と思ったことが、テクニカル・エバンジェリストになった動機です。エバンジェリストとしてはテクニカルな仲間を増やすことに注力しました。その後、2018年に同じような理由で、IBMクラウドを軸にテクノロジーを広める活動をする為にIBMにデベロッパー・アドボケイトとして入社しました。さらにその後、2021年に現在所属しているカスタマーサクセス部門というものが新たに設置されたので、現職に就任しました。
-現在のポジションに就くまでに苦労した点や、それを乗り越えたマインドセットを教えてください。
藤田:30年仕事でプロジェクトを担当していると、失敗することもあります。様々なレベルの失敗があるのですが、システムを構築して動いてもあまりいいものではないというケースや、プロジェクト自体がお客様の最終的な判断で途中でストップするものもあります。IBMに入社したての頃はプロジェクトは上手くいく前提で動いていましたが、案件を何度も担当し、経験値を積んで行くうちに上手くいかないこともあるという事を前提に動くようにしました。今のリーダーの立場になって、私のチームは年間1000以上のプロジェクトをやっています。1000件もプロジェクトがあれば当然上手くいかないものもあり、失敗はある一定の確率で起きるものと考えています。そのためトラブルの多いプロジェクトほど、みんなで支え合った楽しく仕事をしようというマインドでいます。何かトラブルが発生したらリーダーである私がお客様に真摯に謝罪させていただくので、メンバーには色々経験してもらい、トラブルがあっても対処法はあると安心してもらいたいと考えています。
技術理事になれたのは、率先して大変な仕事をやってきたからではないかと思います。そのような姿勢でいると、お客様側も「トラブルの際に藤田さんに相談しよう。」と信頼してくださるようになります。チームのメンバーに対して、どんなに大変でも自分が一番頑張ってやるので大丈夫という心理的安全性を確保してあげることが大切だと考えています。上手くいっているうちはリーダーの出番ではなく、上手くいかなくなってからがリーダーの出番です。このような姿勢でいるとメンバーも上手くいっていない事を報告してくれるようになり、風通しのいいチームになります。これをやり続けられるかどうかがポイントで、その姿勢を最大限出せる人が技術理事、役員、リーダーになると考えています。
戸倉:過去にいた会社の時のエピソードなのですが、エンジニアとして打ち合わせに行った時に、先方に「申し訳ないけれど、男性エンジニアと変えて欲しい」と言われてショックを受けてしまった事がありました。後で聞いた理由は、現場が男性エンジニアばかりなので急に女性が入るとメンバーが緊張してしまうからという事でしたが、私はてっきり女性エンジニアは技術力が低いと思われているのだと受け取りました。それで、自分の中にもアンコンシャス・バイアスがあるのだなと気づきました。そこから自分はちゃんとした技術者だと対外的に示していく必要があると考えるようになりました。社内ではある程度認知されていても、対外的にも自分が何者であり、何を世の中に還元していけるかということをきちんと表現していこうと思いました。
困っている人を助けたくて、初めのキャリアにセキュリティー・エンジニアを選んだのですが、そもそも技術力がないと助けられません。そのためにしっかり研修を受けて、手を動かせる技術者でいつづけることを意識しています。IBMには“Your Learning”という素晴らしい教育プラットフォームがあるのですが、そこで年間200時間研修を受けるとゴールド・ラーナーという称号をもらえます。それがモチベーションになり3年連続でゴールド・ラーナーを取得しています。リーダーになっても、メンバーが突然休んで代わりがいない事態を想定して、いつでも現場に入れるように、学びは怠らないようにしています。
またオープンソースも推進していきたいと考えており、プライベートの時間を使って外部のコミュニティーで可能な限りそこに貢献していきたいです。MicrosoftのVisual Studio Codeというオープンソースがあるのですが、しばらくはそのコミュニティーの管理をしたり、イベントでデモをしたり、ブログを書いたりしていました。最近はそのコミュニティー内でもコード生成が話題になっているので、去年watsonx Code Assistant for Zを紹介しました。また外部のハッカソンがあると参加するようにしていて、対外的に自分がテクニカル・パーソンであるということを表現することを意識しています。
前編では主に二人のキャリアパスや本業以外の外部活動に積極的に参加した経験について語りました。後編では、IBMの技術・サービスのユニークな点や、自分の言葉で発信しセルフプロデュースすることの重要性についてお話しします。(後編へ続く)
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