■ はじめに
内閣府は、2013年から国家プロジェクト「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP: Cross-ministerial Strategic Innovation Promotion Program)」を立ち上げ、日本全国でスマートシティを推進しています。
スマートシティの推進にはさまざまな取り組みが連携するための共通基盤が必要であり、内閣府はその土台となるアーキテクチャを「都市OS」と名付け、エネルギーや環境、交通、医療・介護、防犯・防災、金融、教育などのデータを集積・分析して活用し、それらを組織間で共有、活用するためのデータ・プラットフォームと位置付けています [1]。
図1. 内閣府 戦略的イノベーション創造プログラム, スマートシティ リファレンスアーキテクチャの使い方(日本語版)[1] より
政府や民間組織、企業は、都市OS上でそれぞれ必要とされているサービスを、あたかも「アプリケーション」のように組み上げて居住者や訪問者に提供していきます。そしてそれらのサービスが都市や地域により分断されてしまうことなくしっかりとつながり共創していけば、日本は都市部だけではなく、国土の約7割を占める中山間地域に暮らす人びとにも暮らしやすさや豊かさを行き渡らせることができるでしょう。
都市OSはいわば、都市や地方など、人びとが暮らす場所とそこで提供されるサービスのSX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)を進めていくための基盤なのです。
…ところで、皆さんはSXという言葉にどんな印象をお持ちでしょうか?
「流行りのDXにかこつけた造語」と感じられる方も少なくないかもしれませんね。あるいは「SDGsやESGと同様に、環境重視戦略はもはやあらゆる組織の必然」と捉える方もいらっしゃるかもしれません。
筆者自身はこの2つの意見のどちらにも同調しますが、一方で、社会で叫ばれるほど、DXもSDGs・ESG(Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)の頭文字を取って作られた言葉。企業経営においてこれら各観点からの配慮が必要であり、その取り組みが企業の将来を判断するのに役立つ評価基準だとして世界的に取り入れられている)も十分に実践されておらず、社会実装も進んでいないのではないかと感じています。
昨年、知識創造プリンシプルフォーラム[2]で配布されたホワイトペーパー『組織の知の基盤を革新するとき』では、「CSRやCSV、事業を通じた社会課題の解決」は、企業戦略における重要度合いとしては最低レベルの位置づけであるという調査結果が発表されています。
それでは一体、どうすれば人びとの生活に真の豊かさをもたらすスマートシティ・ビジネスを発展させていけるのでしょうか?
当稿では、私たちの考える都市OSのあるべき姿と、人間中心の都市OSがもたらす未来への道のりについて考えてみたいと思います。
■ 人びとが感じている不安の正体。求めているのは…
所得、地域、医療、教育、世代、情報…。人びとは、一層大きく広がりつつある格差に不安を抱き、新しい「ジャスティス(公正さ)」を求めているように見えます。
経済的合理性と利益を管理下で追求する「機能体組織」のゲゼルシャフトと、互恵的なつながりを自由意志で追求する「共同体組織」のゲマインシャフトが、完全分離して両極に遠く分かれている世界ではなく、人びとは双方がつながり相互扶助と経済のバランスが取れた世界での暮らしを望んでいるのではないでしょうか。
■ 私たちが提唱している人中心の都市OS「Anasatasia(アナスタシア )」
私たちは都市OSの社会実装や構想を、多くの企業や行政などの組織と進めています。現段階で公表できるものの1つが「Anastasia(アナスタシア)」です。
Anastasiaはデータの流通促進・地域課題の解決事例やソリューションの販売プラットフォームであり、エクスポリス合同会社が運営するブランド名です。IBMはそのサービスを、同社や東京電機大学、長野県小谷村と共同で開発・実証実験を続けてきました。
Anastasiaは、私たちが目指す「人中心の都市OS」をさまざまな特徴で表しています。
つい先日(2021年3月29日)、私たちはエクスポリス合同会社を中心とした連名で『地方自治体向けデジタルトランスフォーメーション基盤のサービス提供開始 実証実験先および取扱ソリューションを拡大』[3] というニュースリリースを配信させていただきました。
図2. IBM News Room: 地方自治体向けデジタルトランスフォーメーション基盤のサービス提供開始 実証実験先および取扱ソリューションを拡大[3] より
以下、配信内容とサービスの一部をご紹介します。
- Anastasiaは、少人数で自治体運営を行う全国の1,724基礎自治体に、自治体分析機能を含むベータ版が無償提供されるデジタルトランスフォーメーション(DX)推進プラットフォーム
- 地域経済分析システムRESAS APIやその他のオープンデータを使いやすい形で提供し、課題抽出と課題発見を支援
- 地域課題への取り組み成功・失敗事例やサービス・ノウハウの地方自治体間での容易な共有
- プログラミング教育、STEM/STEAM教育、オンライン学習、リカレント教育などの場やコンテンツ提供を通じ、データ流通プラットフォームを使いこなし、課題抽出〜解決策開発〜共有・販売を実践する地域課題解決型人材育成を支援
是非一度、Anastasiaの詳細をサービス紹介ページでご覧ください。また、同ページより資料請求も行えます。[4]
■ 経済性と社会性を両立させ、断絶なき持続的成長を実現する社会システムとビジネスモデル
我々は、地方自治体、業界コンソーシアム、企業など、既存および将来の都市OSサービスプロバイダーに、高い倫理性と高度なテクノロジーを備えた都市OSをワンストップサービスとして提供する準備を進めています。
サービス提供者にとっては事業的に持続可能であり、サービス受給者にとっては日常活動に自然に組み込まれた超低負荷・低負担な行動を通じて受け取ることのできる形でのビジネス/社会モデルを想定しています。
そして最終的には、下記を両立させる計画の策定と実装を実現させます。
- 物質的資源のプラネット・リソース・プランニング(地球全体の有限資源配分計画)
- 社会資源のソーシャル・リソース・プランニング(人的資源の社会的終身活躍)
■ 価値観の変化
今後5~10年の間に、いわゆるデジタルネイティブなミレニアル世代とソーシャルネイティブなZ世代、さらにそれに続く「α(アルファ)世代」が消費の中心になります。しかし現在は、彼らに向けた商品やサービスを提供する企業側の意思決定者は、まだミレニアルズより前の世代が中心のままです(ちなみに労働者市場においては、少子高齢化が進む日本においても2025年にはその半数以上がミレニアル世代以降となります。(世界の労働人口では75%に達するといわれています))。
消費におけるミレニアル世代以降の指向が端的に表れているのが、エシカル消費やつながり消費です。この背景には、専門情報がデジタルツールによりユビキタス化されたことにより、生産者(企業)と消費者(市民)の情報非対称性(格差)が解消したことがあると言われています。
思考の中心に持続可能性とウェルビーイングがしっかりとインストールされているミレニアル世代以降の若者たちにとって、消費はそのサービスや商品を提供する企業や組織の支援を意味するものとなっているのです(なお、消費の本来の意味は、物やサービスの価値を享受することであり、無駄な「浪費」とは異なります)。
こうした消費に対する価値観の変化を、ひいては生産の根幹にある資本に対する意識の変化を、経営にしっかりと取り入れることができている企業は、日本はおろか世界でもまだ多くないのが実情です。
しかし、日本の経団連に相当する、米主要企業の経営者団体であるビジネス・ラウンドテーブルまでが、1997年から掲げ続けていた「株主第一主義」を見直し、従業員や地域社会などの利益を尊重する「持続可能性を重視した資本主義」への転換を宣言している[5]のは見逃せない事実です。
世界の経営意識の潮流は大きく変わり始めています。
そんな流れを受け、近代マーケティングの父として広く知られている経営思想家のフィリップ・コトラーも、人とテクノロジーの共生における重要なポイントの一つとしてジェネレーションギャップを挙げ、「世代間ギャップをどう埋めるかを意識しつつビジネスを展開すべし」と、その最新著書『Marketing 5.0: Technology for Humanity』[6]で主張しています。
■ 「人中心の都市OS」が日本にもたらすもの
都市OSは、今後の日本を支える基盤です。だがその基盤は、そこで暮らす人びとが日常的に触れるさまざまなサービスが、どのような形となってどのようにどれだけの価値を提供するものかを形作るものでもあります。
それを考えると、都市OSは最重要プラットフォームとしてその基礎を支えるものであるのと同時に、最先端でサービス・製品を生みだすフロントランナーでもあるという事になります。
今、日本が抱えている「超高齢化社会」と「都市部への人口集中」という問題、そしてそれにより引き起こされるさまざまな周辺課題は、実はその多くがこれから世界の多くの国が抱える(あるいはすでに抱えていて今後激化する)問題です。
つまり、都市OSを活かしてサービス・商品を生みだし、それらの問題解決に取り組むということは、日本政府のSociety5.0が掲げている「人間中心主義」の社会実装サービス・商品の海外へのショーケースとなります。そしてそれらが今後、日本を代表する輸出品へと成長していく可能性はかなり高いのではないでしょうか。
大袈裟に聞こえるという方もいらっしゃるかもしれませんが、国民の生き難さを解消するこれらのサービス・製品こそが、日本の「失われた数十年」を取り返し、先行していた物質的な豊かさに社会的、精神的、身体的な豊かさを追いつかせ、日本の幸福度を高めるものとなるのではないかと筆者は考えています。
■ まとめ: 30年後のために今できること
「価値観の変化」の章にも書きましたが、日常生活における経済活動の柱である消費においては、「エシカル消費」という考え方が社会でその存在感と意義を増しています。
改めて「エシカル消費」の定義を確認してみると、消費者庁は「地域の活性化や雇用なども含む、人や社会・環境に配慮した消費行動」とそれを定義し、消費者それぞれが各自にとっての社会的課題の解決を考慮し、そうした課題に取り組む事業者を応援しながら消費活動を行うことを推進しています。そしてこうした活動が、SDGsのゴール12「つくる責任 つかう責任(持続可能な生産消費形態を確保する)」の達成を目指すものだと明記しています。[7]
図3. 消費者庁, 「倫理的消費(エシカル消費)」とは[7] より
この寄稿のタイトルを「新しいジャスティス(公正さ)」としたのは、この21世紀が、ジャスティス(Justice)が広くまかり通る時代になって欲しいという願いを込めたものです。
ジャスティスは「正義」と訳されることの多い英単語ですが、その語源は「ちょうどよい」を意味するjustであり、かたよりがなく釣り合っている状態を示します。現代の私たちにとっては、正義よりも公正とした方が、その真意を理解しやすいのではないでしょうか。
この寄稿をお読みいただいている多くの方は、私と同じ昭和という時代に生まれた方たちかと思います。私には中学生の娘がいますが、私が思うに、自分たちが学校教育を受けていた頃と現在の教育の大きな違いは、以下の2点を強く踏まえている点にあるのではないかと考えています。
- 自分たちの活動の舞台である「地球」は、それぞれの地域のつながりによりできていること。地球すなわち地域が健康な状態であることが、自分たちの健康な暮らしの基盤であること
- 今の私たちの活動や暮らしが、自分たちの次の世代やそれに続く将来の世代の基盤となること。未来の繁栄を先取りして負の遺産を残してはいけないこと。
この2つはどちらも「新しいジャスティス(公正さ)」の対象が、地域から地球全体へ、現在から未来までへと広がっていることを示しています。
新しいジャスティスをエネルギーや環境、交通、医療や介護、防犯・防災、金融、教育というあらゆる生活の場面へと確実に広げていくために、私たち世代にできることは何でしょうか。
日本と日本経済の未来、さらには世界のあらゆる人びとの暮らしやすい未来に向けて。
今後、人びとのウェルビーイングを実現する「都市OS推進」「社会DX実践」について、当ProVISONやIBM ソリューションブログの記事[8]を通じて継続してその根幹となるべき哲学や、実装手段の鍵を握るテクノロジーである「インテリジェント・アシスタント」や「スマートモビリティ」について、シリーズでお届けさせていただきます。
ProVISONご覧いただいている皆様や、IBMコミュニティーをご活用いただいている皆様との対話・討議の場も用意させていただければと考えておりますので、積極的にご参加いただけましたら幸いです。
[参考文献]
[1] 内閣府 戦略的イノベーション創造プログラム, スマートシティ リファレンスアーキテクチャの使い方(日本語版)(2020/4/1更新), https://www8.cao.go.jp/cstp/stmain/a-guidebook1_200331.pdf
[2] REWIRED: 知識創造プリンシプルフォーラムを開催しました, https://www.rewired.co.jp/news/1023/
[3] IBM News Room: 地方自治体向けデジタルトランスフォーメーション基盤のサービス提供開始 実証実験先および取扱ソリューションを拡大, https://jp.newsroom.ibm.com/2021-03-29-Started-providing-digital-transformation-platform-services-for-local-governments
[4] エクスポリス合同会社, 地域のスマート化を支える データ流通プラットフォーム Anastasia, https://www.expolis.net/anastasia/
[5] 日本経済新聞, 米経済界「株主第一主義」見直し 従業員配慮を宣言, https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48745980Q9A820C1000000/
[6] Philip Kotler, Hermawan Kartajaya, Iwan Setiawan: Marketing 5.0: Technology for Humanity,
https://www.wiley.com/en-us/Marketing+5+0%3A+Technology+for+Humanity-p-9781119668541
[7] 消費者庁, 「倫理的消費(エシカル消費)」とは, https://www.ethical.caa.go.jp/ethical-consumption.html
[8] IBM ソリューションブログ, 在りたい未来を支援するITとは, https://www.ibm.com/blogs/solutions/jp-ja/?s=%E5%9C%A8%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%99%E3%82%8BIT%E3%81%A8%E3%81%AF
日本アイ・ビー・エム株式会社
テクノロジー事業本部 コグニティブ・アプリケーション事業部
事業部長
村澤 賢一
Kenichi Murasawa
1999年旧PwCコンサルティングに新卒入社。ERP を活用したグループ経営管理基盤整備に従事。2002年買収に伴い日本IBM に転籍。以後プロセス変革コンサルティングを中心に活動。2011年から日本IBM の各種事業組織を担当、現在に至る。
#society-dx#ProVISION#Highlights-home#Highlights#ProVision#ProVision-society-dx