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小中学校のころは、「女の子らしい」という考え方に縛られる環境にいました。ゲーム機を同時に与えられた妹は全く興味を持たず、私は妹のゲーム機も使って2台で通信対戦をするなどして遊んでいました。そんな私は、周りからはとても変わった子だと思われて苦労しました。そもそも、当時のゲーム機は女の子が楽しめるように作られていません。もっと色がオレンジだったり、音が可愛かったらいいのに・・など、思うこともありました。
転機となったのは、高校からIBMの研究所などもあるアメリカのテキサス州オースティンに単独留学したことです。当時の日本はまだ一般家庭にコンピューターが浸透しておらず、コンピューターに触れられる機会は限られていました。一方、アメリカではコンピューターは浸透してきており、コンピューターに詳しい人がいるところに行き、環境や文化について学びたいと思いました。15歳でスーツケース2つを抱えて一人で渡航した経験を今思い返すと、好奇心が強く、挑戦することを恐れなかった自分がいたように思います。留学について家族の理解とサポートを受けられた環境に恵まれていたのも、とても幸運だったと感じます。
なお、留学は初日からびっくりすることの連続でした。まず、コンピュータールームがあり、IBM OS/2のコンピューターがあったのです。先生がIBM出身だったり、ボランティアで教えいらっしゃる方もいました。そもそも、オースティンがデジタル・コンピューター教育に力を入れおり高校の先生もそういうスキルが必要になるというという理解がありました。高校の生徒はもちろん全員がコンピューターができるわけではないですが、生活とか、授業にも浸透していてカジュアルな印象を受けました。だからこそ、興味があったらやってみようと言うことができる環境であり、理解が得づらかった日本とのギャップを感じました。
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