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アルバニーの風 〜半導体テクノロジーの共創がもたらすより良い未来〜 (vol98-0008-futuretech)

By IBM ProVision posted Mon October 24, 2022 11:20 PM

  
絶え間なく変化する社会のニーズに呼応して 進化を続ける半導体。
想定された限界値を更新し 未来へ挑戦し続ける力とは。国や企業の垣根を越えて東京基礎研究所が紡ぐ未来への希望とともに解説します。
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山道 新太郎
Yamamichi Shintaro
日本アイ・ビー・エム株式会社
東京基礎研究所 サイエンス&テクノロジー 部長 新川崎事業所長
エレクトロニクス・インダストリーCTO
1989年京都大学大学院、電子工学研究科 修了。1997年米カリフォルニア大バークレー校客員研究員、2002年京都大学・工学博士号を取得。日本の半導体メーカで半導体前工程と後工程に関する研究開発に従事後、2013年より日本IBM(株)東京基礎研究所にて勤務。2016年より同研究所サイエンス&テクノロジー部門を担当し、量子コンピュータハードウェアやAIハードウェア、半導体実装技術、新材料探索エンジン等の研究開発を統括。

コンピューターの処理速度の向上と低消費電力化、小型化は、演算の基本素子である半導体トランジスターの50年以上にもわたる微細化によって支えられて来ました。ただ、直近20年は微細化継続に向けた課題が多数現れ、複雑度を増し、一社単独では解決が困難になっています。本稿では、IBMがパートナー企業と共にオープンに意見をぶつけ合い、共通の目標に向かって技術の壁を乗り越え、新たな価値を創造してきた道を振り返ると共に、日本アイ・ビー・エム株式会社(以下、日本IBM®)東京基礎研究所がその共創の一員として果たしている役割と今後について紹介します。

トランジスターの微細化とアルバニー
アメリカ・ニューヨーク州アルバニー。この街がニューヨーク州の州都だとご存知の方は少ないかもしれません。ハドソン川の上流に位置し歴史と政治の街として名高い内陸の都市アルバニーは、いまや多くの技術者が国や会社の枠を超えて集い、新しいテクノロジーが次々と開発される、熱気と活気にあふれた半導体のメッカとなっています。
ジョン・F・ケネディ空港から国道87号線をただひたすら車で北上すること3時間弱。90号線に入ってすぐに高速道路を降りると、IBM Research®が拠点を構えるアルバニー・ナノテク・コンプレックスの広々とした敷地と建物が目の前に現れます。ここではニューヨーク州立工科大学アルバニー校のCollege of Nanoscale Science & Engineering (CNSE)とIBMが中心となり、多くの企業や研究機関が共同で、トランジスターの微細化や新たなAI向け半導体技術の研究を行なっています。

図1. IBM Researchが拠点を構えるアルバニー・ナノテク・コンプレックス
出典:https://jp.newsroom.ibm.com/2021-05-07-IBM-unveils-worlds-first-2-nm-chip-technology-pioneering-unknown-territory-in-semiconductors

2012年に訪問したオバマ前大統領の写真が迎えてくれるこの研究拠点は、一朝一夕にこの規模にまでなったのではありません。遡ること2000年にクリントン前大統領が発表した「国家ナノテクノロジー・イニシアティブ(NNI)」に基づき、2002年時点で官民合わせて5億ドル以上の投資を決断。当時最新の300mm半導体ウエハーに対応したR&Dセンターを設立しました。ここでIBMはその中で中心的な役割を果たしましたが、日本企業も早い動きをとりました。例えば東京エレクトロンは2003年にアルバニーの敷地内に拠点を構え、自社の半導体製造装置を設置、研究員を派遣しています。ちなみに2000年頃の半導体テクノロジーは130nmノード。2009年頃と予想された極紫外線(EUV)露光技術の実現可能性は「保証されない」とされ、当時IBM Researchを統括していた 上級副社長のDr. John Kellyも「50nm以降のトランジスターの性能向上は単純な微細化では困難で、新たなナノテクに期待する」という主旨のコメントを残すほど、不確かな将来に向けての船出でした。
あれから20年。半導体の最先端テクノロジーノードは10回更新され、2021年5月にアルバニーでの成果としてIBMからゲート・オール・アラウンド・ナノシート技術による世界最小2nmのトランジスターが発表されました[1]。2年ごとのトランジスターの性能向上の約束は守られ、3世代前の7nmに比べパフォーマンスなら45%の向上、あるいは消費電力であれば75%の改善が達成できるハードウェアが作られました。EUV露光技術も実用化され活用されています。

そして全く新しいトランジスターの構造「beyond 2nm」としてVertical Transport Field-Effect Transistor (VTFET)も提案されました[2]。IBMとアルバニーでの共同研究パートナーであるサムスン電子が2021年12月に発表した「 従来型の設計を覆す」垂直型トランジスター・アーキテクチャーを利用したトランジスターです。従来はウェハーの表面にトランジスターを並べるFin Field-Effect Transistor(finFET)という構造が主流でした。微細化技術の限界も見えつつあり2021年には微細化が終結するのではという予想もありましたが、まさにそれを打ち破った形です。VTFETは電流をチップの垂直方向に流して微細化と性能向上を両立させる構造で、実際にアルバニーで試作されました。ナノシート以降の微細化に道筋を示し、finFETと比べ85%以上のエネルギー削減を目指すこの研究成果により、トランジスター開発には新しく広大な水平線が広がり、アルバニーもまた発展を続けていくことでしょう。

何もない敷地にクリーンルーム棟を建て、製造装置を次々と搬入して用力を繋ぎ、チームを組んで性能を極限まで引き出す。500以上にもなる半導体製造工程の「自分の次の工程」に良いウエハーを渡すために、文字通り昼夜を問わず努力が続いたに違いありません。材料、装置、検査などのパートナー・メーカー企業の技術者たちが主義主張をぶつけ合い、目の前のリスクに挑戦し続けたからであり、お互いの信頼関係がなければできることではありません。

「継続は力なり。」

2001年時点のロードマップで「Red Brick Wall(赤いレンガの壁=製造技術の見込みが立っていない)」とされた多くの要素技術の壁を、アルバニーが突破し続けた証拠が今、目の前にあるのです。

AIハードウェアセンターの船出
コンピューター・テクノロジーはこの20年で飛躍的に進化しています。その最たるものの一つが人工知能(AI)です。AIの歴史はここでは詳しくは振り返りませんが、幾多のブームと苦難と挫折、冬の時代を経て、現在のAIブームへとたどり着いています。その牽引役を担った一つが2000年からのビッグデータ。もう一つはディープ・ラーニング技術の急速な発展でしょう。もちろんIBMerの私としては、IBM100周年の2011年に登場しクイズ番組で人間のチャンピオンに挑戦した「IBM Watson®」も立役者のひとりとして記します [3]。
果たして、デジタルデータの蓄積とDeep Neural Network(DNN)に代表される新しいソフトウェア・アルゴリズムの進化だけがAIを推し進めたのではありません。半導体の進化がもたらした計算機能力の大幅な改善がAIの普及を可能としました。と同時に大きな課題も浮き彫りにしました。データセンターにおける消費電力の増大です。
IBMは 2014年に人の脳の機能にヒントを得た「 Brain chip」を発表しています。少なくともこの数年前から生物の脳を参考にしたハードウェアの研究は始まっており、極めて低消費電力で信号処理を行う半導体の可能性を追究していました。そして2019年2月にニューヨーク州などからの支援を得てアルバニーに「AIハードウェア・センター」という共同研究コンソーシアムを設立しました[4]。人工知能と消費電力という課題に正面から取り組み、実用化に向けて本格的に踏み出す際、再びパートナーとの共創(Co-Creation)の道を選択したのです。

図3. AIハードウェア・センターのクリーンルーム
https://research.ibm.com/collaborate/ai-hardware-center

設立後10年で1,000倍のエネルギー効率改善を実現するという目標を掲げたこのセンターには、従来のトランジスターの微細化とは質的に大きく異なる課題があります。それは共創するパートナーの幅広さと共創そのもの複雑さです。脳の機能を模した全く新しいハードウェアを開発し世の中に送り出すためには、信号処理の新しいアルゴリズム、それをトランジスターの集積回路として実現するための回路設計、複数種類の半導体デバイスの高密度実装(パッケージング)、さらにはユーザーが期待するニューラル・ネットワークが動くためのソフトウェア群など、トランジスターからアプリケーションに至る垂直統合の共創、コミュニケーションが必須となります。

そこで日本IBM東京基礎研究所の出番です。東京基礎研究所にはシステムレベルのハードウェア、ソフトウェアを専門とする研究員と、世界的にも希少な大規模半導体回路の設計を専門とする研究員、そして日本が世界をリードする高密度実装分野の研究員が多数存在します。回路設計の分野では、2015年時点ですでに、人の脳の機能を模したAI学習を行うチップを発表しています[5]。また実装分野では、日本には世界のトップシェアを誇る材料・装置メーカー企業も多く在り、東京基礎研究所は以前からこのような日本企業とパートナーシップを組み、新たな実装技術の開発を行なってきました[6]。AIハードウェアセンターの課題であった共創パートナーの幅広さと複雑さの壁は、東京基礎研究所のメンバーと日本企業のコミュニケーションによって乗り越えられていくと言えるでしょう。

AIハードウェア・センターでの研究にはアルバニーの他、東京基礎研究所、スイスのチューリッヒ研究所、アメリカ・サンノゼのアルマデン研究所、ニューヨークのワトソン研究所のメンバーが参画し強いIBM Research One teamを形成しています。それを象徴する成果があります。2021年5月に京都で開催された半導体に関する世界トップの学会のひとつ、VLSI シンポジウムで発表された論文です [7]。DNNの信号処理をナノレベルのアナログ不揮発性素子により実現し、世界で初めて14nm半導体回路上でハードウェアとしてAIの推論を実行した、というものです。著者は総勢27名。前述のIBM Researchの5拠点全てがタイトルに一緒に並んだ「初めて」の発表。採択率3割の狭き門を通った100件の採択論文の中から、AI分野の注目論文4件としてその筆頭に選ばれる反響があり、技術の完成度として高い評価を得ました[8]。

図4. カスタム・コントロール・ボードに搭載されたIBMのアナログAIチップ
出典:https://research.ibm.com/blog/vlsi-hardware-roadmap

東京基礎研究所が紡ぐ未来への希望
AIに特化したハードウェアを半導体技術で実現する道筋は2つあります。ひとつは既存の半導体プロセス技術を用い、AI学習や推論時の計算精度を意図的に落として高速化と消費電力低減を目指す方向です。IBMではこれをデジタルAIコアと呼び、最新のメインフレームIBM z16™のCPUであるTelumプロセッサーにすでに搭載しています [9]。このデジタルAIコアの次に必要となってくるのが、論文でも発表したアナログ素子を活用したアナログAIコアです。フォンノイマン型のコンピューターのボトルネック、具体的にはプロセッサーとメモリー間の頻繁な通信による消費電力増大を根本的に解決し、現在のコンピューターとは全く異なる信号処理を実現できれば、スマートフォン等のエッジ側にて個々のユーザの細かなニーズに応じたAIサービスがますます広まるでしょう。また低消費電力性を活かして、これまでデジタル化できなかった広範囲なエリアの探索や、人が入って行けないような危険地域のモニタリングも可能になるでしょう。
もちろんアナログAIコアの実用化にはまだまだ多くの課題があります。アナログ素子の材料や製法の最適化はもちろんのこと、高密度実装分野でIBMが提唱するDirect Bonded Heterogeneous Integration (DBHi)というパッケージ[10]もさらなる構造のシンプル化やプロセス条件の最適化などの改善が求められます。大規模な回路設計含めハードウェアの開発には年単位の時間がかかります。ただ、アルバニーの地で20年以上にわたって脈々と続けられてきたトランジスター開発の歴史を振り返った時、Red Brick Wallが多数存在するからと言って開発を中止する理由にはなりません。無謀とも思える物理的障壁、化学的障壁への挑戦は、目標を同じくするパートナー企業との共創によって、ひとつずつ乗り越えて行けると思います。

今後は、アルバニーで継続されるトランジスターの進化に向けた研究活動と、AIハードウェアセンターの研究活動が相互に深く影響し合うことが期待されますし、またその方向に共創、Co-Creationを深めて行かなければいけません。青空の下、近代的なクリーンルームの建物が並ぶアルバニー・ナノテク・コンプレックスに吹く風を、東京で直接感じることはできません。しかし、時差の壁を越えてオープンに意見をぶつけ合い、課題に共に挑戦し、日本やアジアのパートナー企業とアルバニーをしっかり結びつける役割を東京基礎研究所が果たす時、国や企業の枠を超えて、世の中の人々の生活に役立つ技術や新しいビジネスが時間と共に少しずつ姿を表してくると信じて、自分たちがやるべきことに集中してゆきます。

Reference:
[1]IBM : IBM Unveils World's First 2 Nanometer Chip Technology, Opening a New Frontier for Semiconductors, IBM Newsroom, https://newsroom.ibm.com/2021-05-06-IBM-Unveils-Worlds-First-2-Nanometer-Chip-Technology,-Opening-a-New-Frontier-for-Semiconductors#assets_all
[2] IBM : IBM and Samsung Unveil Semiconductor Breakthrough That Defies Conventional Design, IBM Newsroom, https://newsroom.ibm.com/2021-12-14-IBM-and-Samsung-Unveil-Semiconductor-Breakthrough-That-Defies-Conventional-Design
[3] IBM : What is Watson? IBM Takes on Jeopardy
, IBM Support, https://www.ibm.com/support/pages/what-watson-ibm-takes-jeopardy
[4] IBM : IBM Launches Research Collaboration Center to Drive Next-Generation AI Hardware, IBM Research Blog, https://www.ibm.com/blogs/research/2019/02/ai-hardware-center/
[5] S. Kim, et al., Technical Digest of IEEE IEDM 2015, pp. 443-446.
[6] 青木 豊広 他, エレクトロニクス実装学会誌, Vol. 18, No.6 (2015), pp.443-448.
[7] P. Narayanan et al., 2021 Symposium on VLSI Technology Digest of Technical Papers, T13-3.
[8] Techplus, VLSI TechnologyシンポジウムにおけるAI/ML分野の注目論文レビュー, テクノロジー,
https://news.mynavi.jp/techplus/article/vlsisymposia2021pre-4/
[9] IBM : Announcing IBM z16: Real-time AI for Transaction Processing at Scale and Industry's First Quantum-Safe System, IBM Newsroom, https://newsroom.ibm.com/2022-04-05-Announcing-IBM-z16-Real-time-AI-for-Transaction-Processing-at-Scale-and-Industrys-First-Quantum-Safe-System
[10] K. Sikka, et al., Proc. of 2021 IEEE 71st ECTC, pp.136-147.


IBM、IBM ロゴ、IBM Watson、IBM z16™は、 米国やその他の国におけるInternational Business Machines Corporationの商標または登録商標です。他の製品名およびサービス名等は、それぞれIBMまたは各社の商標である場合があります。現時点での IBM の商標リストについては、ibm.com/trademarkをご覧ください。



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